武蔵一宮 氷川神社

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更新日:
 2010年1月15日



◎武蔵一宮 氷川神社(2010年1月15日)

 大宮にある氷川神社は「武蔵一宮氷川神社(むさしのいちのみやひかわじんじゃ)と呼ばれ、2400年以上の歴史を持っています。神社の略記によれば、第5代、孝昭天皇3年(紀元前473年)4月に創建されたそうです。
 また、約1200年前の聖武天皇(在位724〜749年)の時代に、各国に一の宮の制度が確立された時、武蔵国一の宮に定められたと伝えられています。
 平安時代中期の延喜5年(905年)に醍醐天皇が編纂を命じた法典である「延喜式神名帳」に、「名神大社(古来より霊験が著しいとされる名神を祀る神社のこと)」として記されています。
 平安時代後期、平貞盛が平将門の乱を収めに行く際、当社で戦勝を祈願し、乱を平定したことから、関東地方の武士に幅広く信仰され、荒川流域に数多くの分社が建てられ、武蔵国中に広がりました。
 治承4年(1180年)には源頼朝が土肥実平に命じて社殿を再建させ、社領3000貫を寄進、建久8年(1197年)には神馬神剣を奉納しています。
 文禄5年(1595) には徳川家康が伊奈備前守忠次を奉行として、社頭を残らず造営させました。さらに寛文7年(1667)には徳川幕府四代将軍家綱が阿部豊後守を奉行として社殿の建立をさせました。これ以降も数度の造営があり、現在の社殿は昭和15年(1940年)の竣成で、流造りといわれる神社建築様式です。
 近年では、明治元年(1868年)に明治天皇が行幸、御親祭し、国の鎮守勅祭の社と定められ、次いで明治4年に官幣大社に列せられました。年々の例大祭には皇室よりの勅使が御差遣され荘重厳粛な祭儀が行われます。
 昭和41年(1966年)7月22日に明治神宮の大鳥居が落雷によって破損したため、1975年(昭和50年)に新たな鳥居が建てられました。落雷した鳥居は、1976年(昭和51年)4月5日に氷川神社に移設され、現在の二の鳥居となっています。これに伴い、もともとあった二ノ鳥居は「裏参道」側に移設されています。
 氷川神社という名の社は、さいたま市を中心に、埼玉県下、東京都下、神奈川県下におよび、その数は280数社をかぞえます。武蔵一宮氷川神社は、これらの氷川神社の本拠として関東一円の信仰を集め、初詣には多くの参拝客で賑わいます。
 武蔵一宮氷川神社の一ノ鳥居は、JR京浜東北線、さいたま新都心駅の北東500mほどの旧中山道の脇に建っています。(県道164号から少し、北側に入ったところ。住所は、さいたま市大宮区吉敷町4丁目あたりでしょうか。)ここから本殿までは、ケヤキなどが植えられた参道が延々と2km以上に渡って続いています。
 二ノ鳥居は一の鳥居から1.5kmほどの位置、市立大宮図書館の前にあります。(県道2号から北側に70mくらいのところ、住所は、大宮区高鼻町2丁目でしょうか。)二ノ鳥居は高さ13mで、木造では関東一の高さを誇る大鳥居です。
 二ノ鳥居から500mほど歩くと、三ノ鳥居が現れます。三ノ鳥居から一歩、境内に足を踏み入れると、古杉や老松などの大木が厳かな雰囲気を漂わせる中、神池、神橋、楼門、舞殿が静かに佇んでいます。
 現在の敷地面積は、約3万坪です。これは明治17年に社殿背後の約16万坪が大宮市に寄付され、大宮公園となったためです。
 埼玉県の大宮市(現在は合併により、さいたま市となっている)は、この氷川神社が「大いなる宮居(みやい)」であることから、「大宮」と名付けられたと言います。地元住民には、親しみをもって「ひかわさま」と呼ばれています。

・御祭神
 須佐之男命(すさのおのみこと)
 稲田姫命(いなだひめのみこと)
 大己貴命(おおなむちのみこと)

・お参り
 @三の鳥居をくぐります。
 A新橋(太鼓橋)を渡ります。
 Bお清めの手水を使います。
 C受付でご祈祷の申込み書を記入し、玉串料をお納めします。
 Dとなりにある待合室で名前を呼ばれるまで待機する。
 E待合室で呼ばれたら、そのまま本殿に進み、ご祈祷をうけます。
  ご祈祷は午前9時半から30分おきに数組合同でおこなわれます。
   3,000円、5,000円、7,000円、1万円、3万円があり、お札が違います。

住所:さいたま市大宮区高鼻町1-407
電話:048-641-0137
交通:JR大宮駅東口から徒歩20分





楼門




舞殿




拝殿


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