鹿島神宮

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更新日:
 2013年11月23日




◎鹿島神宮(2013年10月18日)
 鹿島神宮(かしまじんぐう、鹿嶋神宮)は、茨城県鹿嶋市宮中にある神社です。式内社(名神大社)、常陸国一宮、旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社です。日本全国に約600社ある鹿島神社の総本社で、関東最古の神社です。
 古文書では神武天皇元年(紀元前660年)の創建と伝えられています。神武天皇はその御東征の半ばにおいて思わぬ窮地に陥られましたが、武甕槌大神の「韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)」の神威により救われました。この神恩に感謝された天皇は御即位の年、皇紀元年に大神をこの地に勅祭されたと伝えられています。その後、古くは東国遠征の拠点として重要な祭祀が行われ、やがて奈良、平安の頃には国の守護神として篤く信仰されるようになり、また奉幣使(ほうへいし:奉幣のため、神社に参向する使者)が頻繁に派遣されました。
 さらに、20年に一度、社殿を建て替える造営遷宮も行われました。そして中世から近世になると、源頼朝、徳川家康など武将の尊崇を集め、武神として仰がれるようになっていきました。
 現在の社殿は徳川二代将軍の秀忠により、また奥宮は徳川家康、楼門は水戸初代藩主徳川頼房により奉納されたもので、いずれも重要文化財に指定されています。
 鹿島神宮の御祭神は、日本建国、武道の神様である「武甕槌大神(たけみかつちのおおかみ/たけみかづちのおおかみ)」です。古事記では「建御雷神」、日本書紀では「武甕槌神」と表記されているそうで、別名を「建布都神(たけふつのかみ)」や「豊布都神(とよふつのかみ)」と言われるそうです。神代の昔、天照大御神の命を受けて香取神宮の御祭神である経津主大神と共に出雲の国に天降り、大国主命と話し合って国譲りの交渉を成就し、圧倒的な強さで荒ぶる神々を平定された武神だそうです。日本神話では、何度も国難を救う武神として登場するそうです。その強さや交渉力から、香取神宮とペアで「国家鎮護の軍神」、また「勝利の神様」、「武術の神様」として、朝廷や武士の崇敬を受けてきたそうです。



・楼門
 朱塗りの華麗な楼門です。日本三大楼門の一つに数えられる楼門は、高さ約13mで、重要文化財に指定されています。寛永11年(1634年)、水戸徳川初代藩主の頼房卿により奉納されました。「鹿嶋社楼門再興次第記」によれば、三代将軍家光公の病気平癒を頼房卿が大宮司則広に依頼し、家光公が快方に向かった為に奉納されたとあり、浅草の水戸藩下屋敷で130余人の大工が切組み、船筏で運んで組み立てました。昭和15年(1940年)の大修理の際丹塗りとし、昭和40年代に檜皮葺の屋根を銅板葺にしました。楼門をくぐるとすぐ右手に、拝殿・本殿があります。本殿参拝の前に、拝殿前にある摂社の高房神社を参拝するのが習わしです。



・高房神社(たかふさじんじゃ)
 本宮の社殿正面に鎮座する境内摂社で、本殿に詣でる前に参拝するのが古例とされています。祭神は、建葉槌神(たけはづちのみこと)です。「日本書紀」によれば、天香香背男(あまのかがせを)討伐において武甕槌神(タケミカヅチ)によって派遣され、活躍したそうで、静神社(常陸国二宮)では主祭神として祀られています。
 現在の社殿は元和5年(1619年)の本殿造替とともに造営されたと伝えられています。この神社は、鎮座位置や祭神の関係から、摂社のうちでもかなり古い存在と考えられています。



・社殿
 本殿、石の間、幣殿、拝殿の4棟からなる社殿は、元和5年(1619年)、徳川二代将軍、秀忠公が寄進したもので、重要文化財に指定されています。本殿は参道から見て一番奥にある三間社流造の建物で、御祭神の武甕槌大神をお祀りしています。社殿は通常、南向きが多いのですが、鹿島神宮は北方鎮護の役割から、北方に睨みを利かせるために北向きになっています。
 奥宮(元本殿)に向かって東西に伸びる参道に対して北向きの本殿があるので、参道の右横に拝殿がある珍しい配置です。
 拝殿は手前に見える建物で、正式参拝や結婚式の際にお上がりいただくことができます。素木作りの拝殿の後方に、極彩色のきらびやかな本殿があります。



     正面に見えるのが拝殿です。この奥に幣殿、石の間、本殿があります。

・奥宮(おくのみや)
 本宮社殿からさらに参道を進んだ先に、本宮本殿同様に北面して鎮座する境内摂社です。御祭神は武甕槌大神荒魂(たけみかつちのおおかみ あらみたま)です。
 「吾妻鏡」には仁治2年(1241年)の火災で「不開御殿奥御殿等は焼かず」という記録があり、この「不開御殿(あかずのごてん)」は本殿、「奥御殿」は奥宮を指すとして、鎌倉時代にはすでに奥宮が存在したと見られています。
 現在の社殿は、江戸時代初期の慶長10年(1605年)徳川家康により関ヶ原戦勝時の御礼として建てられた本宮の旧本殿です。元和5年(1619年)の造替により、現在地に移されて奥宮本殿とされました。
 構造は三間社流造で一間の向拝を付していますが、のちの修理の際に現本殿に倣って改造が施されたと見られています。総白木作りの簡素な意匠ですが、彫刻には桃山時代の大胆な気風も伺えます。境内の社殿では最も古く、国の重要文化財に指定されています。



・さざれ石
 何故か、全く分からないのですが境内に「さざれ石」があり、隣には国旗(日の丸)を模した石が並んでいます。日の丸の下には、「国旗について」の説明があり、また君が代の歌詞もあります。
 しかしながら、国歌、君が代に歌われている「さざれ石」は岐阜県揖斐郡揖斐川町春日にある天然記念物の石だそうです。(岐阜県揖斐郡揖斐川町春日にあるさざれ石公園に祭られているそうです。)
 さざれ石は漢字で「細石」と書き、もともとは小さな石(細かい石、小石)を意味しています。君が代の歌詞には「さざれ石の巌(いわお)となりて」とありますが、「巌」とは、大きな石、岩石のことです。すなわち、小さな小さなさざれ石が長年をかけて巌という大きな石になるまでの長い年月を表しています。
 小さな石が大きくなるなんて信じられないかもしれませんが、岐阜県春日村にあるさざれ石の成分は炭酸カルシウムや水酸化鉄が主成分で、小さな石と石の間にこのような成分の石がはさまると、雨などで溶けて、また乾燥してくっつくという作用を繰り返して、石同士がつながって、大きくなることが考えられるそうです。
 学術的には「石灰質角礫岩」という名称があり、雨水によって石灰石の成分が溶け出し、粘着性のある乳状液(鍾乳石と同質のもの)が表面に流れ出し、周辺の小石をつなげることがあることが分かっているそうです。
 同じ作用でできた「巌となったさざれ石」は全国各地に存在しており、いずれも神聖な力によって出来上がったものとして、神社などにまつられているそうです。
 ということですが、鹿島神宮の境内にある「さざれ石」については、全く情報がなく、由来などが不明です。



     真ん中が、さざれ石です。



     国旗について説明があります。



     さざれ石のアップです。

・鹿島神宮(http://kashimajingu.jp/)
 住所:茨城県鹿嶋市宮中 2306-1
 電話:0299-82-1209
 駐車場:有







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