焼きそば

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更新日:
 2016年8月21日






◎焼きそば(2016年8月21日)
 焼き蕎麦は、「蕎麦」を「焼いた」料理に思えますが、その名称と異なり、実際には蕎麦を焼くことは少ないようです。絶対に無いとはいえませんが、一般的ではないと思います。ここでの「蕎麦」は、「麺」と同じ意味で、焼いた麺料理という意味になるのだと思います。
 一般的には、生の中華麺(小麦粉にかんすいを入れて打った麺)を茹でて蒸した麺、いわゆる「蒸し中華麺」を豚肉や牛肉などの肉類、キャベツ、人参、玉ねぎ、モヤシなどの野菜、イカなどの魚介類などと一緒に炒め、味付けして作る麺料理です。味付けは、ウスターソースを使用したソース焼きそばが、一般的ですが、塩を使った塩焼きそばなどもあります。
 焼きそばの発祥については、はっきりしていないようです。麺が、いわゆる中華麺であることから、中華麺が日本に入ってきてから作られた料理と思われます。日本に中華麺が伝わったのは幕末のようです。中華系の人々によって、その技法が持ち込まれ、各地の中華街を拠点に広まっていったようです。明治末期には「支那そば」の名称で、いわゆるラーメンのような料理が普及していたようです。しかし、まだ焼きそばは普及していなかったようです。
 しかしながら、中国料理には「炒麺(チャオメン)」と言う、中華麺を炒めた料理があります。中国では紀元前10世紀から、麺が食べられています。このため、スープと一緒に食べる麺料理だけでなく、炒麺も古くから食べられていました。一説には、春秋戦国時代の頃から軍隊食として食べられていたという説もあります。中国では古くから、炒麺も一般的な料理の1つになっていたと考えられます。
 その中華麺が日本で広まったのは1923年(大正12年)に起きた関東大震災という説があります。焼け野原と化した町にラーメンの屋台が立ち並び、人々の胃袋を温めたそうです。これを機にラーメン(支那そば)が普及していったようですが、焼きそば(炒麺)が普及するには、まだ時間が必要だったようです。
 ラーメン(支那そば)の普及には、麺の発展も関係しているようです。1924年(大正13年)にカン水の業者が横浜と東京の深川に開業したそうです。それまでの中華麺にコシをつけ、歯ごたえという食感をプラスした新しい中華麺を作ったことが、中華麺の普及につながったとも言われているそうです。ただし、当時は、流通、保存の点を考えると「乾麺」であったと考えられます。乾麺が主流であったとすると、一度、茹でてから焼くという手間を考えると、焼きそば(炒麺)は、ラーメン(支那そば)ほどは普及しなかったと考えられます。
 東京の浅草にある「浅草染太郎」は、1937年(昭和12年)から続く老舗のお好み焼き屋さんです。1939年(昭和14年)から連載が始まった高見順の小説「如何なる星の下に」には、「浅草染太郎」をモデルにしている「惚太郎」というお好み焼き屋が登場します。この店では、客は大きな火鉢に鉄板を載せ、めいめい勝手にお好み焼きを焼いています。部屋の壁は、品書きが掲げられており、その中に、いかてん、えびてん、あんこ巻きなどに交じって「やきそば」が5銭とあります。このことから、戦前には、お好み焼き屋で焼きそばが提供されていたことが分かります。
 また、小菅桂子氏が1994年に出版した「にっぽん洋食物語大全(講談社+α文庫)」には、「年配の中国人の料理人の中には、ソース焼きそばを浅草焼きそばと呼ぶ人もいる」と書かれています。このことから、「ソース焼きそば=浅草焼きそば」だったこと、昭和10年代には、浅草のお好み焼き屋に焼きそばというメニューがあったことが分かります。すなわち、ソース焼きそばは、昭和10年代には、誕生していたと考えて間違いないと思います。
 しかし、その焼きそばが広く普及したのは、終戦後のようです。第2次世界大戦中は、ほとんどのソースメーカーが製造を中止していたようです。終戦後、各メーカーが製造を再開したことから、闇市でうどんや雑炊といった食べものと一緒にソース焼きそばも売られるようになっていったようです。闇市で食糧を買って、家に帰ることを考えると、同じ中華麺の料理でも「支那そば」よりも「焼きそば」の方が便利だったのではないでしょうか。
 1950年(昭和25年)頃には、粘りのある濃厚ソースが登場し、甘くこってりとした濃厚なウスターソースで味つけされた焼きそばが広まっていったようです。
 さらに1951年(昭和26年)頃、台湾の「ビーフン」の食感を求めて開発された「蒸し麺やきそば」は簡単に調理ができ、保存性に優れている麺として人気を博しました。この麺とウスターソースの出会いが焼きそばの普及につながっていったようです。
 1955年(昭和30年)頃には、駄菓子屋で焼きそばが提供されていたようです。当時は、子供のおやつとして評判を呼んでいたようですが、時代を経るにつれ、次第に家庭でも食べられるようになっていったようです。
 1963(昭和38)年には、日清食品がインスタント麺「日清焼そば」を発売しました。これは、フライパンに水と麺を入れ、添付のソース味粉末をかけ、水分を蒸発させれば出来上がりという手軽さで非常に好評で、発売直後から爆発的ヒットしました。現在では、いろいろなメーカーが、様々な種類のインスタント焼きそばを販売しています。
 現在では、バーベキューや鉄板焼きなどの際の料理のほか、ご当地グルメとして日本各地で独自の調理法や材料を使用するなど、特徴を持った焼きそばが作られています。





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