鰻重のお話

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更新日:
 2009年9月17日






◎鰻重

 「鰻重(うなじゅう)」とは、重箱(木製の四角い箱に漆塗り等の塗りをかけた蓋の付いた食器)の中に飯を入れ鰻の蒲焼を載せ、上から蒲焼のタレをかけた日本料理の一つです。用いられる食器が丼鉢であれば鰻丼(鰻丼飯の略)と呼ばれていますので、「うな重」とは「鰻重箱(うなぎじゅうばこ)」の略称だと考えられます。
 この鰻重が登場したのは鰻丼よりも後で、1960年(昭和35年)に、東京、山谷(さんや:現在の台東区東浅草2丁目17-17付近)にあった川魚料理屋「鮒儀」(後の「重箱」で、のれんを引き継ぐ店は、現在は赤坂にあります)と言う店の初代、大谷儀兵衛が始めたと言われているそうです。この重箱に入った鰻飯は高級感があり、見た目も良いため、他の店も真似するようになったとのことです。
 この川魚料理屋「鮒儀」という店と「重箱」という店名については、久保田万太郎の小説「火事息子(文藝春秋新社、1957年)」に次のように書かれています。
 『おれのところの先祖ってものは、相州厚木の在の造り酒屋の二男坊で、名まえを儀平といったというんだが、それが、いつのまにか、儀兵衛になった。・・・儀兵衛のほうが、一応、もッともらしく聞えるからだろうナ。(略)
 そこで、千住にあった鮒屋新兵衛という川魚問屋に住みこんだ。安全な主人もちになったッてわけだ。・・・ちゃんと、無事何年かつとめ上げて、やがて暖簾をわけてもらい、大橋の近くに、メソッコうなぎを焼いてうる屋台店をだした。・・・のが、鮒俵こと鮒屋儀兵衛というもののこの世に生れでたそもそもで、その後、また、何年か相立ち申したとき、浅草の山谷に、野放しどうようになってた地面をみつけ、それを安く買って、いまでいう食堂だ、入れごみの、気の張らない、手がる一式の、鯉こくとうなぎめしの店をはじめたとおぼしきおぼしめせ、だ。
 これが、当った。ところが、ここにおかしいのは、その地面のうちに、小さな稲荷のお宮があった。伊勢谷、稲荷に、犬の糞といわれた位のものだから、そこにそんなお宮があったって、べつになにも不思議じゃァなかったんだが、その稲荷に、どういういわれがあったのか、“重箱稲荷”という、よにもめずらしい名まえが附いていた。
 ・・・それによって、その界隈では、その一トくるわを、一トくちに“重箱地面”といっていたが、それが、やがて、その店にまで及んで、いつとはなしに、その食堂、何と、だれも“鮒俵”というものはなくなり、手ッとり早く、“重箱”、“重箱”・・・そういったんだけでとおるようになったじゃァないか。・・・いえば、それだけ、界隈での評判の店になったわけで、じッさい、また、びっくりするほど繁盛したらしいんだ。・・・がしかし、その後、永い年月のあいだに、それがだんだん、店のほんとの名まえのようになってしまったといことは、だ。・・・嘘からでたまことッてもない。』
 もともとは「鮒儀」という店名だったのに、“重箱地面”と呼ばれていた場所にあったため、“重箱”と呼ばれるようになったということです。
 久保田万太郎が何故、重箱をモデルにして「火事息子」を書いたかというと、重箱の主人、大谷平次郎と浅草小学校の同級生だったからです(「雷門以北」に書かれています)。この二人はその後も付き合いが続き、戦後「重箱」が東京に戻ってきたときも、口上を書いています。今の「重箱」は鰻屋ですが、当時(大正以前)は川魚料理屋と書かれています。名前も上記に書かれているとおり、”重箱稲荷”から名前が付いたようです。
 うな重は、うな丼とは、名称、容器が違いますが、基本的に同じ料理です。例えば、通常メニューが「うな重」で、ランチに少し値段を下げた「うな丼」を出す店もあるようですが、実際にはウナギの質も量も同じだったりするそうです。また、うな重にはお新香と肝吸いがつくのに対し、ランチのうな丼にはお新香はなく、肝の入ってない普通のお吸い物になるなど、ウナギ以外の所で差をつけ、値段に差をつけていたりするようです。しかし、必ずしも「丼」が安い店で、「重」が高級な店というわけではなく、例えば何千円もする「うな丼」しかやっていないお店もあります。また、そういう店では、「うな丼」が有田焼の立派な丼で出てきたりもするようです。
 また、「容器の大きさの違いで、うなぎの大きさがちょっと違うため、「丼」と「重」で値段が異なっていると説明する店もあるようです。






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