天津飯のお話

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更新日:
 2012年10月30日






◎天津飯(日本)
 天津飯(てんしんはん)は、天津丼とか蟹玉丼などとも呼ばれている料理ですが、細かい内容は地域や店によって違うようです。中国の料理のように思われているかもしれませんが、日本で生まれた料理で、中国にはありません。
 一般的には、刻みネギ、干し椎茸、カニの身や海老、塩などを加えた溶き卵を中華鍋やフライパンで混ぜながら焼き、深めの皿や丼などの食器に盛った御飯の上にのせて、さらに、その上に片栗粉でとろみをつけたあんをかけた料理です。
 玉子に入れる具だけでなく、アンも地域によって大きな差があるようです。静岡県浜松市より東の関東圏では、酢に加えてトマトケチャップを使うことが多いようです。このため、赤い色の少し酸味があるアンになります。
 一方、静岡県浜松市より西の関西圏では、醤油を使ってアンを作ることが多く、薄茶色の場合が多いようです。この他にも、玉子焼きの上に透明な塩味のアンをかけたものや、アンが無い場合などもあるようです。また、彩りにグリーンピースを乗せるとか、刻みネギを乗せるとか、いろいろなパターンがあるようです。
 かに玉丼と呼ばれている場合は、玉子焼きに蟹肉(最近では、カニカマで代用している店もあるようです。)が入っていることが前提です。このカニタマには、中国の広東料理に「芙蓉蟹肉」という料理があり、この料理が元祖に近いのかもしれませんが、中国では、この料理を御飯の上に乗せて食べることはないですし、「天津飯」と言う名称の料理も存在しません。
 どうやら名前の由来だけでなく、その発祥も謎のようです。現在、知られている天津飯の発祥には、来々軒説と大正軒説があるようです。来々軒説は、1910年に尾崎貫一が浅草で創業した大衆的な中国料理店「来々軒」を発祥とするものです。
 来々軒は、1944年(昭和19年) に尾崎家の息子3人が出征したため、浅草の店を閉店しましたが、戦後の1945年(昭和20年)に三代目の主人である尾崎一郎が、東京駅の八重洲口に新たに来々軒を出店しました。この時、銀座の萬寿苑からコックを呼んだそうです。ある時、客から「何か早く食べるものを作ってくれ」と言われた時、このコックが「蟹玉(芙蓉蟹肉)」を丼御飯に乗せて、酢豚の餡を応用した甘酸っぱい醤油味の餡をかけた料理を作り、「天津芙蓉蟹肉飯」と名付けて提供したそうです。これが天津飯の始まりだとする説です。この説では、この料理名が長すぎて、やがて「天津飯」になり、広まっていった、ということになりそうです。この来々軒は、東京ラーメンの草分けだったそうですが、尾崎一郎には後継者がなく、1994年(平成6年)に廃業となったそうです。
 一方の大正軒説では、大正時代に大阪城近くの馬場町に山東省出身の人が中国料理店「大正軒」を開業したものの、戦後で食料不足だったため売り物がなく、天津の食習慣であった「蓋飯(皿に盛った御飯の上におかずを乗せた料理)」を元に、天津で多く捕れていたワタリガニを使った蟹玉を御飯の上に乗せて、さらに上から餡をかけた「芙蓉蟹蓋飯」という料理を作ったそうです。しかし、蟹肉は高かったため採算が合わず、大阪湾で採れたサルエビ(トビアラ)に代えて、名称も「天津飯」と変更したそうです。さらに、当時は卵も入手難だったため、天津から輸出されてきた小さなサイズの鶏卵を使っていたとのことです。
 この大正軒説は、大阪の料理人の間で噂されているようですが、真実味が薄いように思います。この元となる「大正軒」という店自体の存在が怪しいですし、「戦後で食料不足だった」という設定も分かり難いです。昭和であればともかく、大正時代は、戦争もあったにせよ、むしろ継続して発展している時代で非常に活気があったように思えるのです。また「サル海老」に変えただけで、いきなり「芙蓉蟹蓋飯」が「天津丼」に変わる理由も不明ですし、意味が分かりません。いろいろな話が混ざっているように思います。
 さらに、発祥の店は不明であるものの、名前の由来として「天津の米」を挙げるものがありました。その説では、昭和の物資不足の時代に、中国の天津産の「小站米(シャオチャンミー)」という米が品質が良いことで有名だったそうです。この米をわざわざ使って、蟹肉入りの卵焼きを乗せた丼料理という意味で、「天津芙蓉蟹肉飯」という料理名があった、という説です。この長い名称が省略されて「天津飯」と呼ばれるようになり、広まったというものです。
 この説は、来々軒の説の名前の裏付けとしたら面白いですが、単独では説得力にかけると思います。物資不足の時代に、わざわざ美味しいことで有名な「天津の米」が手に入るのであれば、それだけで客が呼べると思います。日本人の味覚からすれば、物資不足の時代に、わざわざ「美味しい米」にあんかけの玉子焼きなどの料理を乗せることはないと思います。美味しくない米であれば、あんかけなど、濃い味付けの料理を乗せて食べるのは、ありだと思いますが。
 ネットで分かる情報からは、天津飯の発祥は、来々軒説が正しいように思います。来々軒という中華料理店(主にラーメン屋さん)は、全国各地に広がっていると思います。もちろんネーミングが良いといことで真似をしただけかもしれませんが、ラーメンや天津飯なども真似をしているかもしれません。真似をする時に、わざわざ長ったらしい名前をつけるとは思えませんので、真似をする段階で、多くの店が「天津飯」あるいは、「天津丼」というネーミングをつけていって、広まったのではないでしょうか。謎が多く、かつ中国にはない中華っぽい料理、いろいろな地域で味わってみたいですね。





醤油タレです。



甘酢タレです。



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