鍋焼きラーメン

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更新日:
 2017年5月3日






◎鍋焼きラーメン(2017年4月7日)
 鍋焼きラーメン(なべやきラーメン)とは、鍋焼きうどんの麺がラーメンになっている料理です。スープは鶏がらの醤油味、麺は細麺のストレート、具は鶏肉、ネギ、生卵、チクワなどいたってシンプルで土鍋で熱々な状態で提供されるのが特徴的なラーメンです。高知県須崎市のご当地ラーメンとして洲崎市商工会議所が地域活性化の起爆剤としてPRしています。
 鍋焼きラーメンの元祖は昭和20年代に創業し、昭和55年(1980年)まで営業していた路地裏の食堂「谷口食堂」です。店主である谷口兵馬(たにぐちひょうま)氏が出前する際、ラーメンが冷めないようホーローの鍋でラーメンを出すようになったのがきっかっけだったそうです。
 戦後、食料難の時代だったため、ラーメンの具材は当時、須崎市内で調達できたネギ、卵、竹輪を使用したそうです。また、谷口食堂の斜め向かいに鶏屋「かし○(かしわ)の吉村」があったことから、そこで分けてもらった鶏ガラや、廃鶏を使ったスープを作ったそうです。また、チャーシューの変わりに、鶏肉を具としても利用したそうです。
 素朴なラーメンでしたが、その熱々の美味しさは戦後間もない食糧難の時代に、須崎市民の身体を温めてくれるささやかな御馳走になっていったようです。鍋焼きラーメンが徐々に評判になるにつれ、谷口食堂の2、3軒隣にあった「みつだ食堂」でも鍋焼きラーメンをメニューに加えたそうです。みつだ食堂ではホーロー鍋ではなく、土鍋を使用したそうです。さらに数年後、「水野食堂」でも鍋焼きラーメンの提供を始め、この3軒が「須崎鍋焼きラーメンの老舗御三家」と呼ばれるようになったそうです。(現在では、いずれのお店も閉店しています。)
 その頃の鍋焼きラーメン一杯の値段はおよそ60円だったそうです。当時は家庭用のお風呂も普及していなかったため、銭湯帰りに鍋焼きラーメンを食べることが流行したそうです。また、現在のように深夜営業のお店もなかったので、比較的、夜遅くまで営業していた鍋焼きラーメン店は若者達のたまり場となっていたようです。
 1975年(昭和50年)に谷口兵馬氏が亡くなられた後、奥様が受け継がれて営業を続けられていたそうですが、1980年(昭和55年)に惜しまれつつも閉店となりました。
 しかし、須崎市内には鍋焼きラーメンの熱狂的なファンが多く、「なかがわ」、「橋本食堂」、「下元食堂」など、徐々に鍋焼きラーメンを提供する店が増えていったそうです。これを地域の活性化に活かそうと考えた須崎商工会議所は2002年(平成14年)に商工会議所、市役所などの有志で「須崎名物『鍋焼きラーメン』プロジェクトX」を発足させ、鍋焼きラーメンのPRを始めました。
 また、「須崎名物『鍋焼きラーメン』プロジェクトX」では「伝説の名店・幻の味」として語り継がれている谷口食堂の味を次世代に伝えるべく以下の7つの定義を設けています。

1. スープは、親鳥の鶏がらの醤油ベースであること
2. 麺は、細麺ストレートで少し硬めに提供されること
3. 具は、親鳥の肉・ねぎ・生卵・ちくわ(すまき)などであること
4. 器は、土鍋(ホーロー、鉄鍋)であること
5. スープが沸騰した状態で提供されること
6. たくわん(古漬けで酸味のあるものがベスト)が提供されること
7. 全てに「おもてなしの心」を込めること
 ※ 「すまき」とは、高知県ではポピュラーな魚肉の練り製品のこと。

 現在の鍋焼きラーメンのスタイルを確立したのは「橋本食堂」だそうです。1972年(昭和47年)頃に創業した「橋本食堂」は、谷口食堂の閉店後、あの味を復活させようとまっ先に立ち上がったお店だそうです。初代店主の橋本氏は、鍋焼きラーメン専用の麺と自ら調合したスープを合わせ、当時の味を知る人に何度も試食してもらい、試行錯誤して谷口食堂の味を再現したといわれています。ちなみに橋本食堂は、以前、谷口食堂があった場所のすぐ近くにあります。
 鍋焼きラーメンには、必ず沢庵が付いてきます。これは、旨みの強いラーメンを食べた後、ちょっぴり酸味のあるタクワンで口の中をさっぱりさせる、お口直しの要素が強いようです。たくわんを食べた後、またラーメンを食べると、食べ始めのような美味しさが感じられ、飽きることがなく、最後まで美味しさを味わうことができるということのようです。
 現在では、上記の定義で復興させた鍋焼きラーメンを提供するお店は、約40店舗にまで増えているそうですが、全て製麺所は同じだそうです。麺が違うと美味しくないそうです。








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