もみじ饅頭のお話

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更新日:
 2009年6月21日






◎もみじ饅頭(広島)

 随分、昔、漫才師がギャグにしてはやらせたので、有名になった広島のお菓子です。広島の県花、県木であるもみじの形をしたカステラ饅頭で、中にこし餡が入ったものが代表です。メーカーによって、つぶあん、抹茶、クリーム、チーズ、チョコ、りんごなど、いろいろなタイプが販売されています。厳島神社のある宮島には多くの店が軒を連ねていて、緑茶やコーヒーなどと一緒に焼きたてを食べることができます。
 もみじ饅頭を発案した人物は、明治後期の厳島(宮島)の和菓子職人、高津常助とされています。1906年頃、明治の元勲、伊藤博文は、宮島にある紅葉の美しい紅葉谷(もみじだに)を度々、訪問していたようです。この時、伊藤博文が宿泊したのは、島内の名所、紅葉谷の入り口にある老舗旅館「岩惣」でした。
 この岩惣に和菓子を納入していた高津は、宿の仲居、おまんから「紅葉谷の名にふさわしい菓子が作れないか」と依頼され、試行錯誤していたそうです。
 そんな折、岩惣を訪れていた伊藤博文が茶店に立ち寄り、お茶を差し出した娘の手を見て、「この紅葉のような可愛い手を食べてしまいたい」と冗談を言ったそうです。この伊藤博文の冗談を耳にした高津は、もみじの葉の形を模した饅頭の製造に取組み始めたそうです。
 その結果、1906年(明治39年)に、現在のもみじ饅頭の原型となる「紅葉形焼饅頭」を完成させ、販売を開始しました。これが、広島銘菓、もみじ饅頭の誕生と言われています。伊藤博文が本当に、このようなことを言ったのかは不明ですが、このようなエピソードは、売り込みに一役買ったことは間違いありません。
 この「紅葉形焼饅頭」は、4年後の1910年(明治43年)7月18日に商標登録しています。この時、登録された焼き型は「7つの切れ込みのある葉に短い葉柄がついたもの」であり、今日のもみじ饅頭とは少し趣が異なっているそうです。高津は、しばらくして、より現在の形に近い焼き型を使い始めたそうです。また、呼び名も「もみじ饅頭」と呼ばれ始めていたようです。
 当時、商標権の有効期間は20年間でしたが、高津は権利の更新を行わなかったそうです。このため、島の土産品店などでも型さえあれば製造、販売が可能になり、その後の発展につながっていったようです。
 当初は、もみじ饅頭の中身はこしあんだけでしたが、昭和初期に、つぶあん(小倉あん)のもみじ饅頭(つぶもみじ)が考案されたそうです。1934年(昭和9年)5月10日、高松宮宣仁親王が厳島を訪れた際、明治末期創業の岩村もみじ屋の初代店主、岩村栄吉に「つぶあんはないのか」と所望したのがきっかけで誕生したそうです。
 高津堂は、高津常助の亡き後、和菓子職人として父のもとで修行をしていた息子の昇が継ぎました。お店を紅葉谷から現在の場所に移転し、和菓子店だったお店は、もみじ饅頭を製造、販売しつつも、現業種の酒屋へと移行していったそうです。さらに、しばらくして、二代目、昇はもみじ饅頭を作らなくなったそうです。
 実は、職人気質だった昇の父、常助は「技や味は盗むもの」として、一切のレシピを伝授しなかったそうです。常助が作ったもみじ饅頭は、日が経っても生地が硬くなる事はなく、ふんわりしており、行列が出来るほどお客様から愛され、人気が高かったそうです。しかし、2代目を継いだ息子の昇が試行錯誤しても先代と同じ味は出すことは出来なかったため、製造をあきらめたようです。
 高津堂は3代目、現在の店主である加藤宏明(常助の孫)が引継ぎました。宏明は50歳を過ぎてから「もみじ饅頭を作ろう!」と決断し、知人の饅頭職人などに協力を求めながら、もみじ饅頭作りに取組み、試行錯誤を繰り返し、およそ半年後の2009年7月18日に完成させたそうです。
 その宮島には、さらに「揚げもみじ」というものがあります。これは、もみじ饅頭に割り箸を刺して、丸ごと揚げたものです。アン、クリーム、チーズがあります。外はあつあつでカリッとして、中はふんわり柔らかい食感です。



        もみじ饅頭



        揚げもみじ饅頭



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