コーヒーのお話

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更新日:
 2013年9月2日






◎コーヒー(珈琲、coffee、オランダ語:koffie)
 コーヒーとは、コーヒーノキの種子(コーヒー豆、Coffee bean)を煎って、粉にしたものから成分を抽出した褐色の飲み物です。水や熱湯で漉したり、煮出したりして作ることが多いです。
 現在では世界中で飲まれているコーヒーですが、そのコーヒーの起源にはいくつもの伝説があり、どこで、いつ頃から飲むようになったのかは明確になっていないようです。コーヒーの起源については、一般に「コーヒー発見の3大伝説」と呼ばれるものがあり、それは、イスラム教国説とキリスト教国説で、コーヒーの発祥をめぐって2つの宗教間の争いにもなっているようです。
 イスラム教国が発祥とする説には「僧侶シェーク・オマールの話(アラビア起源説)」と「シェーク・ゲマレディンの伝説」という2つの話があります。一方、キリスト教国が発祥とする説は「ヤギ飼いカルディの話(エチオピア起源説)」というものです。
 「僧侶シェーク・オマールの話」とは、次のような話です。13世紀後半、イスラム神秘主義修道者のシェーク・オマール(Sheikh Umar)は、疫病が流行っていたモカ(イエメン共和国の港町)の町で、祈祷を捧げ、多くの人の病気を癒していたそうです。ある時、モカ王の娘が病気にかかり、オマールが祈祷を捧げたところ、病気が治ったそうです。しかし、祈祷を捧げているうちに、オマールは、その美しい娘に恋をしてしまったそうです。このことがモカ王にばれて、オマールは、オウサブという山中に追放されたそうです。
 山中の洞窟で暮らし、食べ物も満足になかったオマールは、ある日、美しい羽根を持った小鳥が木に止まって陽気にさえずっているのを見つけたそうです。その木の枝先には赤い実がついていたそうです。空腹だったオマールが、その実を口にしたところ、美味しかったそうです。オマールは、この実を洞窟に持ち帰り、スープを作って飲んだそうです。すると、爽快な気分になり、元気が出たそうです。その後、オマールが許され、町に戻った時、山中で見つけたこの不思議な飲み物の話をしたところ、町中に広まったという話です。
 この話の原典は、アブドゥル・カーディル・アル=ジャジーリーの「コーヒーの合理性の擁護」(1587年)という著書だそうです。記録によると、シェーク・オマールの師であるスシャデリが亡くなったのは1278年だそうです。このことから、この説では、コーヒーの起源は13世紀後半になると思われます。
 この話が世界中に広まったのは、この本を写したアントワーヌ・ガラン(Antoine Galland)が、「コーヒーの起源と伝播」という本を1699年に発行し、その内容がヨーロッパに紹介されたためです。
 アントワーヌ・ガランは、フランスの中東学者で、ギリシャ語、ラテン語、ヘブライ語、アラビア語、ペルシア語、オスマン語、アラビア語、ペルシア語などが堪能で、中東の古い書物をフランス語に翻訳し、ヨーロッパに広めた人です。有名な「千夜一夜物語」も翻訳し、1704年から1706年にかけて、全7巻を出版しています。「コーヒーの起源と伝播」という本を出版したのも、コーヒーの起源をヨーロッパに紹介する目的ではなく、単に中東で見つけた古い本を翻訳して出版したということでしょう。
 これに対し、「シェーク・ゲマレディンの伝説」とは、次のような話です。シェーク・ゲマレディン(Sheik Gemaleddin)は、イエメンのダーバン生まれだったため、「ダバニ」と呼ばれていたそうです。彼は、アデン(Aden:イエメンの首都)でイスラム教師をしていたそうですが、1454年にアビシニア(エチオピア)に旅行した時、コーヒーが広く飲まれていることを知ったそうです。
 旅行からアデンに帰る途中、病気になってしまったそうです。この時、薬になるからと聞いていて、アデンに持ち帰るつもりで持っていたコーヒーを飲んでみたところ、驚くほど体調が快復し、元気を取り戻すことができ、無事にアデンに戻れたそうです。
 このようなコーヒーの効能と覚醒作用を知ったシェーク・ゲマレディンは、アデンで夜のお勤めをする回教の修道士や、暑さを避けて夜に旅する商人達にコーヒーを薦めたそうです。このためコーヒーがイエメンで広まっていったそうです。また回教の信者は、砂漠を超える長旅をする時は夜、移動するため、必ずコーヒーを入れた袋を携帯するようになったそうです。このため回教徒は、コーヒーを広めたシェーク・ゲマレディンに感謝し、マホメットに「彼ダバニは、常に楽園におりますように」と祈ってからコーヒーを飲むようになったのだそうです。
 この話は、「僧侶シェーク・オマールの話」が載っているアブドゥル・カーディル・アル=ジャジーリーの「コーヒーの合理性の擁護」(1587年)という本に載っているそうです。また、シェーク・ゲマレディンは1471年に亡くなっているそうです。また、この話は信憑性が高いとされ、ウィリアム・H・ユーカーズ(William H. Ukers)が1935年に書いた「オール・アバウト・コーヒー」という本にも取り上げられているそうです。
 同じ本に2つの話が載っているのですが、僧侶シェーク・オマールの話はコーヒー豆を発見した話で、シェーク・ゲマレディンの話は、コーヒーがイエメンを中心に各地に広まったことを伝える話です。この2つをまとめれば、13世紀後半にコーヒーの豆が発見され、エチオピアのモカで広まったようです。その後、紅海を超えて反対側のエチオピアに広まったのか、同時発生的にエチオピアでもコーヒー豆が発見され、飲まれるようになっていったのかは不明ですが、15世紀後半にシェーク・ゲマレディンがアデンで広めたことによって、より多くの人々に飲まれることになったというのが、この本から読み取れることだと思います。
 一方の「カルディ伝説」は、次のような話です。9世紀のアビシニア(エチオピア)にカルディというアラビア人のヤギ飼いがいたそうです。ある日、カルディは、自分が世話をしているヤギが牧草地に生えている灌木の実を食べると、騒がしく、興奮状態になることに気づいたそうです。そこで、近くの修道院を訪ねて、この不思議な話を伝えると、院長も不思議に思い、その実の効能を自ら試してみたそうです。その赤い実を茹でて飲んだところ、気分が非常に爽快になったそうです。これに驚き、院長は、夜の儀式中に居眠りをする修道僧達にも飲ませたそうです。すると、弟子達は居眠りすることもなく、勤行に励むことができたそうです。この「眠らない修道院」の噂が国中に広まり、魔法の木の実が広まっていったという話です。
 この話の原典とされるのは、レバノンの言語学者、ファウスト・ナイロニ(Faustus Nairon)の「コーヒー論:その特質と効用」(1671年)という著書に載っている「眠りを知らない修道院」というエピソードだそうです。しかし、この本では、もともと時代も場所も判らないオリエントの伝承として記されていたそうです。この話がヨーロッパで紹介された後、コーヒーの流行に合わせて脚色が加えられ、舞台がエチオピアになり、ヤギ飼いの少年に「Kaldi」というアラブ風の名前がつけられたようです。
 これは、「コーヒーの合理性の擁護」(1587年)が書かれてから100年近く後に作られた本ですし、既に、この頃にはコーヒーが広まっていたと考えられます。このため、コーヒーを発見したのがイスラム教徒ではなく、キリスト教徒であることを主張するために作られた創作ではないか、とも言われているようです。
 これらの3つの伝説が有名なようですが、これらの説では9世紀頃にコーヒーが発見され、13世紀頃にはコーヒーの飲用が広まっていたということになります。しかし、実際にはコーヒーはもっと昔から飲まれていたようです。
 9世紀にイランのアル・ラーズィー(アブー・バクル・ムハンマド・イブン・ザカリヤー・ラーズィー:Abū Bakr Muḥammad ibn Zakariyā al-Rāzī、865年~925年)という人が医学的な知識や、見聞きした民間療法をまとめた「医学大全」という著書に、コーヒー豆の事を指す「ブン(Bunn)」とコーヒー豆の煮汁である「ブンカム(Bunchum)」という記載があり、すでに当時、コーヒーが飲まれていたことが分かっているそうです。
 アル・ラーズィーは錬金術師、化学者、哲学者、医師、学者など、様々な科学分野で論文を書いた人で、当時、書いた本は記録されているだけでも184冊以上あるそうです。少なくとも、想像などではなく、事実をまとめたであろうと思われ、このことからも9世紀のイラン近郊では、コーヒー豆やコーヒー豆の煮汁が飲まれていたことは間違いないと思われます。
 その後、多くの地域に広まっていく中で、重要な役割を果たしたのがイスラム教神秘主義派のスーフィー教派だと考えられているようです。彼らの活動によって、イスラム教寺院、イスラム教信者、民衆にコーヒーを飲用する文化が広まっていったようです。






  
  



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